今回は、最近よく目にする「障がい」という表記についてお話していこうと思います。実はこのブログサイトにも「なぜ障害と表記しているのですか?今は障がいとするのが普通じゃありませんか?」というお問い合わせがありました。その点に関してちょっと調べてみましたので是非ご覧ください。
議題に上がる表記とは
- 障害or障がい
- 子供or子ども
このあたりは、よく議題に上がります。まず初めに私の意見を明確に伝えますと、「表記に注目しすぎるべきではない」という考えです。当然一定の配慮は必要だと考えますが、漢字表記を気にしすぎると本質からずれたところで新たな論争が生まれます。それは無駄ではないでしょうか?そういった意味でもそこまで注意すべきではないと考えています。
ただこれはあくまでも私の考えであります。そのためネット上でどのような対応が施されているのか確認してみました。
害?碍?がい?
最近では「障がい」という表記も見かけるようになってきました。そもそも「害」という文字を外し始めた理由は「害という字に、さまたげになるもの、わざわい」という意味があるからだと言われています。そのため一部では「障碍」という表記を使うこともあるようですが、この「碍」という字は常用漢字ではないため、あまり利用されていません。
そこで登場したのが「がい」というひらがな表記です。内閣府によると2003年ころから「がい」をひらがな表記する都道府県や自治体が増えてきたようです。しかし、新聞社やマスコミ関係では「障害」という表記を使い続けている所が多いようです。また保育の現場では「障がい」と表記することが多く、テキストなどもすべて平仮名表記に統一されていると言います。
しかし、医学の世界では「障害」という表記を使っています。私はこのことから利用する際の違いのニュアンスが伝わってくるような気がするのです。
例えば「人」を指す場合は「障がい」という表記を使う。「固有名詞」や「診断」「症状」を指す場合は「障害」を使う。
これが一番分かりやすいような気がしますし、当事者や家族にも配慮が出来ている形ではないかと思うのです。実際にこのような考え方で表記をしている団体も一部あるようです。私がお勧めしている児童発達支援士を認定する一般社団法人 人間力認定協会でもそのようにしているようです。(最新版テキストでは表記の改正がされているようです)
どの表記が正しいという事ではありませんが、誰を思いやり誰に対してのメッセージなのか。それによって表記を変えるという事が、一番の思いやりのような気がします。
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当事者はどう捉えているのか?
先ほどまでは、当事者というよりもその周りの支援者の声を紹介してきましたが、ここでは障害者当事者の意見を紹介していきます。実はここでも意見が分かれます。
自分の子供に「害」があるというイメージを持たせたくないから「障がい」という表記で統一して欲しい
字を変えるだけでは何の意味もない。差別や偏見をなくすために何の役にも立たない
私に言わせれば右腕が短いのが障害ではなく、短い右腕で生きていく社会に障害が潜んでいる。障害は本人でなく社会の方なので、ひらがなにして消さないでもらいたい(水泳選手・一ノ瀬メイ)
いかがでしょうか?
私個人としては、最後にご紹介した水泳選手・一ノ瀬さんの言葉がグッと刺さりました。この捉え方が本質的な考え方でしょう。そして発達障がい児のサポートをしている団体も、その子を障害として捉えているのではなく、その子が現代社会ではうまく生きていけない可能性が高いから、そうならぬようサポートするという目的だと思います。だとすればこれも、現代社会の方に問題があるわけです。現在の学校制度では発達障がい児が苦しむ。現在の皆の理解では苦しむ。こういったところが害であるという主張が一ノ瀬さんの主張です。素晴らしいお言葉だと感じます。
言葉狩りにならぬように!
ここまでご紹介してきて分かるように、明確なひとつの答えなどないわけです。なぜかというと、どの表記をしても日本人全員の賛同を得られることなどありえないからです。日本はコロナ禍の支援対策として国民に給付金を支給するという話が出たときを思い返してみましょう。どうやっても一定の賛同者と一定の反対者が出るでしょう。
- 国民一律給付➡収入上がっている人だっている!高所得者は不要だろ!
- 18歳未満に給付➡20歳だって大学でお金がかかる!所得規制は!
- ポイントで給付➡デジタル端末を持っていない!
このような形です。つまりどのような事であっても全員に納得してもらうことは非常に困難なのです。しかし、そこで気を付けなければいけないのはあまりにこういう言葉狩りや自分の立場からしか見ない行動をしてしまうと、人はなにも出来なくなります。この政府の例であっても、何をやっても言われるならわざわざ給付する必要がないよねと思ってもおかしくありません。多くを話せば言葉狩りをされて批判される。そうであればあまり話さないようにしよう。こうなることでしょう。
そうなるとどうでしょう。人は本音で話すことはほとんどなくなり、すべての会話はうわべだけの会話となる。すると交友関係が希薄になります。しかし人間はそんなに強くありません。交友関係をすべて絶って生きていき何が楽しいのでしょうか?
またこういう考え方も必要でしょう。どのような表記をしていていたとしても「支援をしようとする気持ち」は同じわけです。その点、味方であるはずです。にもかかわらず過度な言葉狩りをすると、味方ではなく敵となってしまいます。発達障がい児の支援をしていこうと思っている人同士がいがみ合っていて、どうやって支援をしていくのでしょう。表面上ではなく、本質的な部分をしっかりと見つめて、そこに感謝をすることが大切だと考えます。
子供?子ども?
障害という表記とともによく言われるのが、子供という表記です。私の基本的なスタンスはここまで紹介してきた通りです。子供という表記に関しては、障害という表記以上にどちらでもいいと思います。
そもそも「子供」の「供」という字には、お供え物やお供するという意味があるというのがその論争の始まりです。しかし、子供という表記を見てそんなこと思いますかね?いちいち語源をそこまで気にされますか?逆にどれほどの文字の語源をご存じでしょうか?その語源って本当に正しいですか?過去の文献などから語原が確定していますが、過去の情報は誰かの書きものです。歴史もたびたび修正されているように、語原だって誤りがある可能性が十分あると言えるでしょう。
例えば「児童」という表現の時に使う「童」の語源ってご存じでしょうか?結構衝撃的ですよ。
「童」という漢字の由来は、辛いという「辛」と「目」と重いという「重」の字が組み合わさって出来た会意形成文字になります。「辛」という文字は、入れ墨を入れる為の針から出来た象形文字です。重いという「重」の字は、重い袋を表す象形文字になります。そのことから、目の上に入れ墨をされて重い袋を背負わされた奴隷を意味する「童」という漢字が出来たということです。そこから派生して、未成年者や児童を意味するようになりました。漢字の成り立ちから考えると、今使われている意味とまったくかけ離れた恐ろしい漢字だとも言えるでしょう。
いかがでしょう?でも現状「児童」という表記を「児どう」にしろ!という論争はありませんよね?なぜ「子供」の「供」よりも衝撃的な語原である「童」はOKで、「供」はNGなのでしょうか?このような事例は枚挙にいとまがありません。
つまり本質などどこにもないのです。一部の権力者が都合よくこのようなことをうまく利用しているにすぎないのです。
ですから、私たちとしてはそういった表面上の表記にあまり惑わされるのはいかがなものかと思います。それより先にやるべきことはあるはずです。支援を拡げるために出来ることに焦点を当てて、論争をすべきでしょう。
【まとめ】発達障害は障がいと表記するべき?あなたのご意見は?
いかがだったでしょうか?
この記事に対しても、賛成してくださる方、反対の方がいることはわかっています。でも、自分の意見をしっかりと述べ、賛同できる人と支援を拡げていくことが重要だと思っているのであえてこのような記事を書かせていただきました。最後までご覧頂き有難うございます。
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