みなさん、いつも何気なく使っている「倫理観」という言葉と「道徳観」という言葉の違いを理解されていますでしょうか?日本語はとても表現が豊かな言語ですが、それがゆえに正しく利用するのは難しいですね。一緒に倫理観と道徳観について確認しましょう。
倫理観と道徳観の違いを孔子の論語から学ぶ
今回解説するにあたり、孔子とカントとヘーゲルの考え方を踏襲しています。言葉の正確な意味というのは、「だれがどういっているのか」という部分にも大きく左右されるので、絶対的な心理というよりは、倫理観と道徳観についての一つの解釈の仕方としてお読みください。
倫理観も道徳観も「慣習や習俗」という意味をもつ
じつは、倫理観と道徳観という言葉は、ともに「慣習や習俗」という意味を持っています。
- 倫理はギリシャ語で「慣習や習俗」
- 道徳はラテン語で「慣習や習俗」
そのため基本的には同じような意味を持つ言葉として生まれています。実際、哲学者であるカントとヘーゲルは倫理と道徳という言葉を、まったく正反対の認識で活用しています。そのため、厳密な意味での違いが見えにくい部分があります。
現代では、倫理観と道徳観を使い分けている
もともとの語源という意味では大きな違いはないようですが、現代では明らかに倫理観と道徳観という言葉は使い分けて利用されています。まずこの二つの言葉を辞書で引いてみますと、
「倫理観」
⇒人として守るべき道
⇒善悪の判断の中での普遍的な基準
⇒道徳やモラル「道徳観」
⇒善悪をわきまえて行動するために守らなければならない規範
⇒法律とは違い、内面的に存在する正しい行動の原理
このようになります。
わかるようでわからない、、、といったところですね(笑)もう少しかみ砕きわかりやすい表現をすると、
「倫理観」
⇒法律や規則などの決められたルールを守る
⇒決められてはないけど人としての善悪を判断基準にする「道徳観」
⇒決められてはないけど人としての善悪を判断基準にする
すこし意味合いが見えてきましたね。これをもっと端的に表現するならば、
「倫理観」
⇒社会的、外面的、内面的「道徳観」
⇒内面的
こうなるでしょう。つまり倫理観は様々な面からルールや基準を守るという姿勢に対し、道徳観はその中の内面的部分のみに焦点が当たっていることがわかります。
事例から倫理と道徳を理解しましょう
ここまでで理解が出来たと思いますので、最後に例を挙げながら「倫理」と「道徳」について確認していきましょう。今からあげる事例が「倫理」なのか「道徳」なのか考えてみてください。
問1:友達がクラスメイトに嫌がらせを受けています。ここで「嫌がらせを止めにいく」あなたの行動は、倫理観か道徳観かどちらでしょう。
答え:道徳観。嫌がらせを止めることに関しては法律や学校のルールで明確に決まっているわけではありません。しかし、困っている人を助けるという善悪の判断で行動を起こす。つまり、勇気をもってクラスメイトを救う行動は「道徳観がある人」といえます。
余談ですが、これまさしく孔子の論語の中にある
「義を見てせざるは勇無きなり」
です。自分がやるべきことを発見したのに、その一歩が出ないというのは、勇気のないものだ!という言葉。実は孔子の論語は基本的に「道徳観」をまとめたものと言えます。
問2:マンションに住むあなたは真夜中に友人を集めパーティをしています。明らかに近所迷惑となる大音量の音楽や奇声。この行動は倫理観、道徳観どちらが欠けているといえますか?
答え:倫理観です。騒音問題は民法で定められています。ただ前述のとおり倫理観には道徳観の意味も含まれますので、道徳観が欠如しているという判断も間違いではありません。真夜中に大音量は常識的に考えて迷惑だよな・・・・これが道徳観的な捉え方です。
以上が倫理観と道徳観の総意です。
倫理観を身に付ける過程で、道徳観が身につく?
ここからは、子育てや社員教育の場を想像しながら読み進めてみてください。きっと腑に落ちる部分があると思います。
最初から道徳観、つまり内面的な善悪と言われても、何を基準にすればよいかわかりにくい部分があります。日本は無宗教文化でもあるため余計に善悪の判断が個人によって違う部分があるでしょう。とどのつまりは、育った家庭のルールがそのまま善悪の判断になっている状態です。
そのためこの状態では、誰が見てもあの人は道徳観があると思われることはまずないでしょう。
そこで先に倫理観に含まれている法律や規則を基準にすれば「何をすべきか」「何をしてはいけないか」を理解することができます。当然法律や会社の規則の中には、人としての善悪を踏まえたうえで作られたものも多数あるからです。
子育ての場合も小さな子供は、自分の行動が良いことか悪いことか全く理解していません。好奇心の赴くままです。だから善悪の基準を社会のルールに照らし合わせながら理解させていくとわかりやすい。また孔子の論語を基準にするのも明確です。子供向けの孔子の論語の本も販売されていて、小学生でも理解できる内容となっているものがお勧めです。
日本語の難解さがいじめに繋がっている?
今紹介してきましたが、日本語は本当に難しいですよね。倫理観と道徳観という言葉を取っただけでもこれだけの解説量になります。しかもお互いが同じ言葉にして完全に同じ認識を持っているかと言われたら、NOです。ほとんどが自分のなかで○○という言葉は○○という意味と意味づけをしていますから。
ただこのミスコミュニケーションが学校や社内でのいじめ、嫌がらせに繋がっていくと思われます。片方は何の気なしにいった言葉が相手を傷つけるとはこういったことです。
このようなことを母国語の言語技術ともいうのですが、日本人は特に母国語の言語技術が低いといわれます。それは日本の文化が影響しており、阿吽の呼吸なるものが美徳とされているからです。私もこの文化は素晴らしいと思いますが、グローバルな時代になるとこの美徳がマイナスに働くことがあります。「日本人は自己主張しない」こうなるのです。
英語を学ぶことも当然大切です。しかし、母国語の強化をしっかりとしなければ、小学校、中学校、高校時代にいじめにあってしまうかもしれない。いじめにあい、精神的に落ちてしまえば、英語学習など言っている場合ではありませんよね。
倫理観と道徳観という言葉の違いから始まった記事ですが、話がいじめ問題にまで達してしまいました。日本語を正しく活用し、円滑なコミュニケーションにつなげていきましょう。
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